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【公益財団有斐斎弘道館館代表理事】太田達 ×
ノッツェ.代表 須野田珠美 対談

対談の様子01

結婚の◯◯学
第3回目「結婚の宴会学」
◆結婚アテンダント公式テキスト
第10章「プロポーズと結婚式」について

京都では老舗「老松」の主人であり、茶人で工学博士、江戸時代の学問所である有斐斎弘道館代表理事を務めていらっしゃる太田 達(おおた とおる)先生。茶文化をはじめとする様々な講座を開催し、国内はもとより海外でも話題になる茶会を数多く開いていらっしゃる太田先生に「結婚の宴会学」というテーマで、結婚式の始まりは一体いつだったのか、など、意外と知らない結婚式の歴史や意味を紐解いていただきました。

結婚式の歴史や意味、始まりは一体いつだったのか!

「宴会学」とは?結婚式との関わりとは?

須野田:本日は、茶人で工学博士でもある太田達(おおたとおる)先生にお越しいただきまして、「結婚の宴会学」というテーマで婚活中の皆様、結婚式を迷っていらっしゃる方に向けて、アドバイスをしていただきたいと思います。

太田:よろしくお願いします。

須野田:先生のご専門は茶道ですが、茶道も結婚式も「宴会を行う」という意味があるかと思います。まずは、「宴会学」とはどういった学問なのか、結婚式と宴会がどう関わっているのか、お話いただけますか?

太田:「宴会学」は今から20年くらい前 京都女子大学に招請されたときにはじめました。日本文化はすべて宴会というものが基本ではと私は考えます。
日本の宴会はそのコミュニティの序列、すなわち偉い人から順番に挨拶し、幹事が乾杯の発声を示唆(しさ)した時点で最初のセレモニーが終了します。コミュニティの秩序の確認行為と、乾杯以降の「無礼講」すなわちそのコミュニユテイの破壊行為が始まります。そうすると、そのコミュニティは翌日にその[※1]紐帯(ちゅうたい)が一層絆の強いものになります。宴会というものはコミュニティ論に通じる重要な儀式なのです。
※1:紐帯=二つのものを結びつけて、つながりを持たせる。社会を形づくる結びつき。

須野田:良い意味で、杓子定規的のコミュニティの儀式から始まり、その人間関係を一旦破壊し、本音のつながりに向かっていくための、様々な中に文化の潮流があるということですか?

太田:日本人は150年前の明治維新まで「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」といって、とても平和な宗教を持っていました。それぞれのお祭り、神祀りも、お供えを神前にあげて下がるまでに芸能神事があります。
食=お供えと芸能というのは、宴会の中心にあるものだと考えられます。食は食べなければ死にますから、いわば個体を維持するもの。芸能は、歌や踊りがうまいとモテますよね。モテる、ということは、セクシャルなことを考えると、種族維持。個体が生んだ文化を、次の世代に伝えるための装置が宴会であると考えると分かりやすいでしょう。神祀りでも神社でも、お供えを上げて下がるまでに、神楽(かぐら)や祝詞(のりと)、お経も神様をあがめようという歌=そう芸能ですから。
お供えの基本は「粢(しとぎ)」(一晩米を水に浸けて、柔らかくなったものをすり潰した食べ物、人間が火を知る以前の炭水化物の摂取方法)であり、これをボイル、スチームしたものが「餅(もち)」=菓子です。そして、これを発酵させたものが「酒」となります。「酒」と「菓子」というのは、一つのコミュニティをケアするための重要な装置すなわち“文化”です。結婚というテーマの中でも「酒」と「菓子」は非常に重要な要素なのです。

須野田:結婚式の三々九度も、「酒」ですね。

太田:そうですね。それと[※2]茶事においても、「酒」と「菓子」なんですよ。前半は酒でセレモニー、後半は菓子でそれを繋ぐという。「宴会学」というと、ふざけているように思われますが、これが宴会の本質なのです。
※2:茶事=茶の湯において懐石、濃茶、薄茶をもてなす正式な茶会

結婚式の始まりとは?

須野田:宴会は、日本人に馴染みが深いのですね。
私が知っている結婚式の始まりは、通い婚だった平安時代、男性が女性の所に通い、二人で寝床を一緒にする前に、酒を酌み交わす際に三々九度が行われたと。他には、家族にお披露目するという儀式が元々ではないかと、一般風説にありますが、いかがでしょうか?

太田:結婚式の始まりは「所顕わし(ところあらわし)」(平安時代に結婚の成立を披露する宴)です。正直、一晩通って来ただけの男性は信用出来ない。三日目の朝に、婚家の花嫁の父親が、「三日夜餅(みかよもち)」をついて、お前を娘の婿として認めるという形になるのです。

須野田:それが室町時代になると、逆に武士の世界になって、女性が男性の元に嫁ぐ時代となります。それが、お色直しなど、家そのものの色に染まるという、今の結婚式の始まりだとも言われていますよね?

太田:家や部族の観念が出来てきた時代ですね。南北朝期の混乱の時代を経て、武士が京都の天皇を頂点とする公家社会をどうやってコントロールしてゆくかというときに、「家」というコンセプトをもちいて成立させたともいえないでしょうか。
そこで、武家のものを表す儀式であった、正月の「式三献(しきさんこん)」=「三献の儀(さんこんのぎ)」。これが重要視され婚礼儀式にも取り入られる下地ができてきます。現在の茶事においても酒杯のシーンは 三つに分割されていて、「初献」「二献」「三献」。全部「三献」ですね。このような形を、現代でも見ることができる訳です。

須野田:そこが今異なるのは、夫婦の契り的な儀式だったのが、家と家の結び付きになったということではないでしょうか。今、なぜ結婚式が必要なのか、ということに繋がる気がいたしますが、先生はいかがですか?

太田:「直会(なおらい)」(神事の最後にお供えしたものをおろし、参加者でいただくという行事)が披露宴と同義でしょうか。日本では、どの祭りも直会を欠くと、成立しません。天皇陛下の「新嘗祭(にいなめさい)」もそうです。11月23日の勤労感謝の日に行われる神事で、即位された年の新嘗祭を大嘗祭とよび、この時「主基殿(すきでん)」「悠紀殿(ゆきでん)」という二つの建屋でそれぞれその年に[※3]卜定(ぼくじょう)された田で育てられた稲を持ち込んで寝られるそうで、それが“穀霊と結ばれる”ということであれば、“結婚”の形態と同じですよね。次の日の朝が「豊明の節会(とよあかりのせちえ)」という、臣下との大宴会です。また他に「五節の舞姫(ごせちのまいひめ)」が舞を舞う儀式もあります。節会はお酒を一杯飲んでご飯を食べる。これがいわば“二次会的”ですよね。
この国は、一次会の場合は舞や唄などの芸を観る。その後の二次会は、自分たちが演じ、自分たちが歌う、という構造が出来上がっています。それが民間の人たちに当てはめると、“結婚式披露宴”とその二次会ではないでしょうか。
※3:卜定=事の吉凶をうらない定めること

日本の結婚式の形とは?

須野田:日本はいわゆる無神教、宗教がないと言われますが、神道と言う根源的な信仰形態もあり、いろいろな風土が混在している部分がありますね。日本人に、いろいろな形の結婚式があることに関して、先生はどう思われますか?

太田:元々「氏子」「氏宮」という地域住民、そのコミュニティの紐を強めるのが結婚式です。自分たちのエリアの世界に入ってくる新しい人を迎えるというパーティーです。それが、明治4年に、椅子に座ったパーティー形式の鹿鳴館スタイルが入ってきて、その後、昭和30年までは「家」のなかで結婚式と披露宴をおこなうことが普通でした。京都でも家でする結婚式でしたね。私が子どもの頃、親の経営していた会社の社員さんの結婚式はうちの家でやっていました。

須野田:私の母は以前、近隣の方のお仲人をしていましたが、必ず結婚式は家で行っていました。花嫁道中の儀式があって、近隣の女性たちや子どもたちが、朝早くから手伝いに来ていましたね。お嫁さんが白塗りの身支度をしていて、台所では宴会の用意をしている。儀式が終わると花嫁が出て来て、「お父様、お母様、長い間お世話になりました。」と言う光景を、大人になったらこういう風に花嫁さんになるのだと見ておりました。花嫁が、親戚などの間を通り、一度自分の家を出て、ぐるっと回って戻ってくる。それを見て、子どもの頃から、脳裏に焼き付いている映像の意味が段々と分かってきたのです。結婚とは、自分が生まれ育った家を出て、そしてそこから嫁いでいくのだと。その後は、嫁ぎ先に染まって、生活していくことだということ。一旦、親子の縁を切って、ありがとうございました、とお礼を言い、成長した娘さんが家を出ていく儀式として、素晴らしいものだなと子ども心に感じました。

太田:儀式とは、そのインパクトを伝える装置かもしれませんね。種族が文化を次世代に伝えていくために、花嫁さんの支度など、意味があったのだと思います。

須野田:今は、「ママ行って来るね。」と言って、結婚式場に花嫁さんが行き、お父さんとお母さんの準備が整い式場に行くと、娘はウエディングドレスを着ていて、ゲストはそこから入場するのが通例。本当はそこに、結婚とはこういうものだという儀式の凝縮された形があるのではと思います。それが残念だという気がしますが、先生はいかがですか?

太田:昭和30年代、披露宴を家でおこなっていたのが、料理屋さんに変わる。どこの地方都市にも大きな料理屋さんがあって、料理屋さんが披露宴会場であったわけですが、それが昭和40年代、万博があったころからその会場がホテルに変わります。
私は現在、婚礼のお菓子を守りたいと思っています。今、京都で婚礼のお菓子を守るということ自体大変な状況です。ちなみに「老松」の婚礼菓子はたくさんの種類があります。儀式が始まる前の、お見合いの時のお菓子、お嫁さんの家へお祝いの挨拶に行くときのお菓子、結納時のお菓子、などたくさんの種類があり、儀式そのものの意義を伝えているのは、私たちしかいないのだという責任感があると思います。
中でも、“お嫁さんまんじゅう”があります。紅白の上用まんじゅうで、薄いピンクと白の色、それを箱に入れて包装したものをまんじゅう盆に乗せて、袱紗(ふくさ)を二重にかける。必ず、まんじゅうにはお嫁さんの名前を入れます。養子の場合は、緑色でお婿さんの名前を入れます。花嫁のお婆さんとお母さんが、こんな子がうちに来ますよと婚家のご近所に配るのが、昭和50年、60年頃まで行われていました。素晴らしいでしょう!これは、塗りの世界と、袱紗の世界と、料理の世界と、水引屋さん、木版屋さん、掛け紙屋さん、箱屋さん、それと私たち菓子屋の世界が協力しておこなってきたのです。コミュニティに新しい人を迎える儀式の重要性を婚礼菓子は物語っています。

須野田:今までの家というコミュニティに、新たに一人入ってくるということは、それだけ重みのあることなのですよね。人ひとりが誕生したようなもの。それがそのような意味が込められていて、嫁いだ先のお婆さんやお母さんが、花嫁を迎え入れる準備を行う。心の準備もそうですし、みんなが大事に思う気持ちを、そこで育めますね。

太田:お嫁さんの名前を間違えたらあかんと言って、饅頭の箱にお名前を書くわけですよね(笑)
菓子と酒はコミュニティの重要な装置。お嫁さんまんじゅうがまさにそうでしょう。花嫁をコミュニティに迎えるための重要な儀式の一つなのですね。

須野田:花嫁道中もそうですが、時代を経ても失わずに残して欲しいものはありますね。その意味を子どもたちに伝え、その子どもたちがそういう意味があるなら残したいね、と思える場所は、今はなかなかないのかもしれません。先生は、どうお考えになりますか?

太田:だから、意地でもこの、婚礼のおまんじゅうを残したる!と思っています(笑)
ふっくらとして柔らかくて美味しいおまんじゅうをお嫁さんが買ってくれると、どうやって残せば良いか?と、スタッフみんなで考えています。神社やお寺でお参りすると、紅白の落雁(らくがん)がありますね。あれは、栄養補給剤の意味があるのですが、それを砂糖の固まりだと思っている人たちがいる。ですので、神社は違うものにどんどん替えてはる。私たちは一つずつ心を込めて作っていますが、一般的に売っているお菓子は、大量生産です。ミルクキャラメルに「滋養」と書かれているのが、お菓子の本当の意味です。菓子というのは、本来、人の命を守るためのもので、こういった意味のあるお菓子が消えていくことで、婚礼という儀式が廃れていくのは寂しいですね。

結婚式は何のためにするのか?

須野田:結婚式は何のためにするのかというと、二人が覚悟を決め、みんなの前で宣言をするという、儀式の意味合いが大きいですね。
先日、姪の結婚式がありましたが、お互いがどのような友達と交友関係にあるのかを初めてそこで知るわけです。そうすると、より一層その人に対しての深い絆や心の交流も、自覚出来ます。両家の親同士も、お互いの親戚を見合いながら、このような雰囲気の一族なのだと確認出来て、交流を図れるという良さがありますね。
現実に日本では入籍して結婚式を挙げた人たちと、結婚式を挙げない人たちでは、離婚率が驚くほど違います。結婚式を挙げた人たちは、離婚をしない可能性が高いひとつの例にもなるわけです。なおかつ、神様やみなさんの前できちんと宣言することによって、夫婦として生きるということを決意できますよね。
私の姪の時は、ウェディングケーキカットではなく、鯛の塩釜割りというのをやりました。二人の共同作業を、微笑ましく見ている自分たちも、応援してあげたいなという気持ちが生まれることを味わいました。その良さをやはり失ってしまってはいけませんね。先生のように、伝統を継承されてきたお仕事をなさっているからこそ、日本の最大のセレモニーである結婚式を応援してもらいたいのです。

太田:人は住んでいるエリアの神に対する畏敬の念というものがあり、神前式を神社の境内の中でおこなっていた時はいいのですが、今はホテルから依頼されている神主さんや牧師さんにお任せすることが多い。そうなると、自分が住んでいる所の神々、自分の生まれた場所にあるランドマーク、神道でいう山であり、川であり、岩が神、という感覚が薄れる。こういった信仰を残していくためにも、絶えず意識付けが必要ですね。港区の住民のかたは、その土地神のような存在である東京タワーを神にすれば良いのに(笑)

須野田:私はいつも見て拝んでいますし、富士山も拝みます。

太田:SNSを見ていると、富士山の写真はたくさんアップされています。富士山が見えた瞬間に嬉しい。それは畏敬であり、富士山は日本全体の神といえるのではないでしょうか。

須野田:例えば、他家に嫁ぐのは、信仰や家柄、慣れて育った土壌も違う中で、他人が入ってくるということですから。その儀式的な意味は重いと思います。簡単に「よろしく。」だけではないですよね。その思いが深ければ深いほど、覚悟を決めて結婚を成し遂げ、死ぬまで添い遂げようという気持ちになるのではないでしょうか。
私は、結婚と同棲とは何が違うかというと、結婚は式で誓い、永続的に関係を続けていくというものであり、同棲はその時の気持ちで一緒に住んで、駄目になって解消しても何の責任もないし、お互いに永遠の約束もない中でのもの、と感じます。やはり、それだけ結婚というものは、儀式的な部分で、役割を担うのではないかと思います。

結婚式を挙げるためのアイデアとは?

須野田:今の人たちは、仕事が忙しく、仮に古式ゆかしい結婚式を挙げようと思っても、予算もあり、時間的にも無理な方もいらっしゃるかもしれません。このようにしていくと良い、というご提案はありますか?

太田:以前、新郎新婦ともに私の教え子で、ともに伝統文化がすきで、二人とも西国三十三か所巡りのお寺にご縁があり、中間の16番目の清水寺で結婚式と結納を行いたいと頼まれ、仲人をしました。

須野田:清水寺は、誰でも結婚式を挙げることが出来るのですか?

太田:その時は特別でした。秋の一番忙しい11月某日。観光客で溢れる中、数珠の交換を行い、その後にホテルで披露宴をしました。その後は、「先生、芸妓さん、舞妓さんを連れて来て」とのリクエストに応えました。また、滝が流れるカフェを貸し切りまして、日本刀でまんじゅうをカットすることもあり、また茶婚式のリクエストなどがありました。私は、40年前わたしの宗匠から正統といわれる茶婚式を踏襲しています。

須野田:茶婚式というのは茶席ですか?

太田:はい。茶事です。袱紗の交換などのある正式な茶婚式をしたいとの希望でした。茶婚式は、私はいろいろな人から頼まれて、今まで7、8回は行っています。

須野田:先生、それは面白いですね。
その中に伝承的な意味もあり、私たちが知らない結婚式は、日本にはいっぱいありますよね。他にもそのようなお話はございますか?

太田:以前、伝統文化を残していくための組織を作ったのですが、そこに集まった学生の中で、院生二人が結婚することになりました。本当に貧乏学生なので、手作りの結婚式を行いました。当時私たちの活動拠点の場所で、私たちが100個ほど風船を膨らまして部屋に飾り、エレクトーンを持っている友人に弾いてもらい、前日には当時のアメリカの大統領や総理大臣の名前で、冗談でたくさんの祝電を送りましたね(笑)
実は、私の本職はパティシエだとも思っていますのでその時、10年振りに三段のウェディングケーキを作ってあげたのですよ。その学生は日本刀にリボンをいっぱい付けて、ケーキ入刀をして。私たちが写真をたくさん撮り、それでアルバムを作って贈ると、感謝を伝えることが苦手だった新郎が、その時初めてみんなの前で、「ありがとう」と言った姿を見て感動しました。一切お金がかかっていない式です。

須野田:お金がないから、結婚式をしないという選択よりも、お金がないけれど、何か出来る方法はないか、を探すほうが良いですよね。

太田:衣装を持っている人もいますからね。
借りてきてあげると、お金はかからない。

講義の様子02

須野田:それは、感動しますよね。また、それを一緒に協力してくれる人たちも、二人を見守ってくれていますね。

太田:二人は今も家族で遊びに来てくれていて、もう子どもも中学生くらいかな。

須野田:いい話ですね。お前の父ちゃん、母ちゃんの結婚式で、パティシエをして三段のウェディングケーキを作って、日本刀で切ったんだぞ!と(笑)

太田:実は、そういうことを山のようにやってきています。

自分に適した結婚式を挙げましょう!

須野田:結婚を目指している「ノッツェ.」の会員様たちで、式は挙げたいが結婚資金や、自分に適した結婚式とはどうしたら良いかと思う方も、たくさんいらっしゃると思います。その方たちに、先生、何か一言お願いします。

太田:二人のアイデンティティを知る。遡って、自分に縁があるエリアを調べて、それを盛り込んで企画を立てる。

須野田:素晴らしい!それは、結婚の形と心を伝承していますね。

太田:自分のご先祖様のアイデンティティをあらためて知る機会になるのではと思います。

須野田:面白いですね。

太田:そう、例えば日本の代表的な料理、二人の出身地の雑煮を合体させればいいでしょう。餅は丸いのか?四角なのか?など、歴史をたどると自分がどこから来たのか?を知ることが出来る。

須野田:自分のルーツですね。
こだわっているアイデンティティみたいなものですよね。

太田:二人の雑煮を作って振る舞うだけでも、儀式が二人の中によみがえりますね。

須野田:私たちとしては、先生が和菓子を通じ伝統を継承され、これから結婚式を多くの方に挙げていただきたいと思いますね。先程、お金がなくても、自分のルーツやこだわりをたどり、それを形にした結婚式が良いとおっしゃっていましたが、是非みなさんにアドバイスをお願いします。

太田:一番大事なのは、「オーラルヒストリー」(口伝えの歴史)。
父と母がいるから自分がいる、その上に父親と母親がいる、その上にも父親と母親がいる、大体、ひい爺さん、ひい婆さんの話までは、なんとか聴いている。自分がそれを子どもに伝えれば、そしてその先までいけば、自分を中心に過去・未来の150年の人たちがいるんですよ。300年の歴史の間に自分がいると、これが生まれてきた自分のひとつの意義かなと。

須野田:遡って150年、未来の150年の中心に自分がいるということですね。

太田:政治システムが変わろうが、世界が変わろうが、伝えていくことは変わらない。個人の歴史なので、自分のルーツ、ふるさとの景色を見ていただいて、そこでどのような営みが、数百年、千年、あったのか考えてみてください。そしてその中で伝わった食べ物、そこだけにある食べ物を味わうことが大切。

須野田:では、今度結婚する時は雷おこしでいこうかと。浅草生まれですから(笑)

太田:浅草でしたら神田明神。そこにある風土のシンボルですね。山の形は、2000年も3000年も変わっていないでしょう。
今私が提案している歴史地理学では、川の流れは変わるけれど、自分のふるさとの山は変わらない。自分の爺ちゃん婆ちゃんが見ていた山。その山にどんな神が宿っていたのか、山を恐れて自分たちは守られてきたのだと。こういったことを是非、ご自分の子孫に伝えていただきたい。次の世代に対して、何を伝えていけるか?考えていただけると良いのではないでしょうか。

須野田:自分のルーツをたどると、300年という歴史の中に自分が真ん中にいて、相手の方も、同じように生まれ育ってきているということ。婚活中の方は新たに二人で歴史を創っていく相手を探しているということですね。ですから、その相手と結ばれる時には入籍だけでなく、自分たちらしい儀式をして、覚悟を表明してくださいね。お父様やお母様も喜ばせてあげて、お世話になった方たちに結婚のご報告をするという、儀式を踏んだ上で、素晴らしい夫婦になっていただきたいと思います。
太田先生、ありがとうございました。

太田 達(おおた とおる) プロフィール

太田 達(おおた とおる)

  • 太田 達(おおた とおる)

    公益財団有斐斎弘道館館代表理事、有職菓子御調進所老松代表取締役。
    1957年京都生まれ。島根大学農学部卒業。京都工芸繊維大学大学院博士課程修了。工学博士。有斐斎弘道館において茶文化をはじめとする各種講座を受け持ち国内外で話題になる茶会も数多く開く。専門は食文化、宴会論、伝統産業論、菓子文化研究。京都女子大学、立命館大学、同志社大学などで教鞭をとる。

    著書に『DVDで手ほどき 茶道のきほん』『「美しい作法」と「茶の湯」の楽しみ方』(メイツ出版)『今日の花街―ひと・わざ・まち』(日本評論社)など。