【江戸から現代の離婚事情】 第3章 明治の離婚しないニッポン

2021年12月25日

スタッフNによる離婚事情第三章!あれだけ高かった江戸時代の離婚率が明治に入りがくんと減りました。その背景には明治時代ならではの理由があります。目まぐるしく時代が変わる中、家族についての法律も誕生しました。

前回記事 江戸から現代の離婚事情 第2章 江戸時代は再婚が当たり前?

加盟店事業部スタッフ

幕末大好き!時代が変わっていく様子はわかったけど、女性にとってはまだまだ生きづらい時代だったのかな?

明治からの結婚事情は大変です…離婚率は確かに減っていますが、家のカタチがだいぶ変わりました。明治の離婚事情についてご紹介します。

明治31年。家族法成立

江戸の昔から時は流れ、明治31年。 旧民法下において「家族法」が成立しました。

現代語訳
家は、戸主とその家族によって構成される。
戸主は,家族を扶養する義務を負う。
家族が婚姻、または養子縁組をする際には戸主の同意を得なければならない。

家族とは「戸主とその家族」すなわち、家長たる男とそこに付属する妻子をいう、と法律が宣言したわけです。さらに明治民法は、戸主たる地位、家督相続の順位について、「男は女に優先する」「嫡出子は非嫡出子に優先する」旨を明文で規定します。こうした家父長制は、江戸時代においては武士階級、特に九州の武士に特有のものでした。

平安時代以来、おおかたの家にとって「血の近さ」はさほど重要なものではなく、名家と呼ばれるような家柄であっても、むしろ名家であればこそ、一族の中に有能な子どもがあれば本家に養子入りさせて家督を継がせる、といったことも普通に行われていました。(※現に、江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜は水戸徳川家から御三卿の一角である一橋家に養子入りし、そこから諸事情を経て将軍となっています)

お!ここも渋沢栄一の青天を衝けで見たぞ!感動シーンだったね。

それを思えば、

「家族とは同じ戸籍に載っている人たちのことであり、戸主との血の近さ、性別、生まれ順によって明確な序列がある」

と宣言する明治民法は、かなり大きな価値観の転換をもたらしたはずです。

結果として日本の家庭は、それまでの夫婦共働き、遠縁・近縁の親戚を含めた大きな連帯組織から、「戸主と、戸主による統制をうけるその他家族」からなるピラミッド型の組織に変わりました。明治民法の制定と、そこにある独特な家族観の浸透。これが離婚率の大幅な低下をもたらします。

江戸時代、家族とは「家同士のつり合いを踏まえた、子どもを産んで一族を繁栄させる」ためのシンプルなつながりであり、民間におけるそのあり方について国家がとりたてて口をはさむことはありませんでした。

明治時代の家族とは

明治民法は、家庭内における序列と支配を、性別と長幼の序をもとにしてこのように規定します(一部抜粋)。

・戸籍の筆頭者は戸主である。
・婚姻によって妻は夫の家に入り、夫の氏を称する。
・家督は嫡男が継ぐ。子どもが女子しかいない場合は女戸主の設立がありうるが、彼女が嫁いだ時、彼女は嫁ぎ先の家に入るものとする(例外あり)。
・妻の財産は夫が管理する。同時に、婚姻によって生じる一切の負担は夫が負う。
・不貞行為は、妻についてのみ罰する(なお、夫の浮気はおとがめなし)。
・妻の法律行為には夫の指揮監督が必要である。
・息子、娘が結婚する際は、戸主の同意が必要である。
・戸主の同意なく結婚を強行すると廃嫡、除籍の恐れがある。

ここまでくると家族なのか独裁国家なのか分かりませんが、今なら考えられないことですよね。このように、明治中期における結婚は今よりよっぽどハードルが高く、しかも女性にとっては極めて別れづらい状況が出現しました。

なんせ「男は女よりも偉く、よろずのことで優先される」「嫁ぐまでは父に、嫁いだら夫に、老いたら息子に従え」「たとえ実家に戻っても戸主である父または兄弟はそれを拒絶できる」「女の不貞行為は刑務所行き、ただし男のそれは甲斐性」という思想が法律レベルにまで格上げされているわけですから、江戸時代のように気軽な再婚も望めないでしょう。

おまけに、明治時代においても(江戸時代と変わらず)女性が単独で生きていく道は閉ざされたままでした。結婚せねば生きていけない状況はそのままに「一度入った夫の家からはどんな理由があろうとも出ることが困難になった」とも言い換えられます。

結果、日本の離婚率は急激に低下し、明治、大正を経て昭和10年には0.70%。そして昭和13年には0.63%と過去最低を記録します。

こうして日本は「離婚する国」から、「離婚しない国」に変わりました。

男女の役割が明確になった明治時代の結婚

江戸時代の、

・夫婦共働きが当たり前
・妻の財産は妻のもの、たとえ夫婦の間柄でも勝手に処分するものではない

という価値観は鳴りを潜め、代わりに、

・夫婦は同じ戸籍に入り、同じ氏を称し、財産においても一体である
・夫は家族のために外で働き、稼ぎ手として一家を支える
・妻は家の中のことに専念し、家事と育児で夫を支える

という男女の役割分担制が、あるべき夫婦のかたちとして共有されるようになります。もちろんそこには、「女は男を立てるべきだ」「男は仕事に邁進し、粉骨砕身働くものだ」という、当時の人にとっては常識(今でいえば押し付け)もあったことでしょう。

しかしこの男女の役割分担制――潜在的に女性を男性の下に置き、男性を「一家の稼ぎ手」「大黒柱」として持ち上げつつも馬車馬のごとく働かせ、余暇はもちろん家族との時間さえ取り上げてはばからない価値観は、ご存じの通り、明治、大正、昭和を貫いて現代にいたるまで生き残っていくことになります。

個人的な美徳として勤勉さやつつましさ、男らしさや女らしさを選んで身に着けていくのは素敵なことですが、それをせねば世間様に認めてもらえず、制度上もさまざまなデメリットがある社会というのは、やはり窮屈なのではないかと思いますね……。 

参考資料:日本の家族と民法

次回は最後!離婚率の上がる国、日本です。現代の婚活事情も踏まえてご紹介していきます。

ついに現代に突入ですね!ドキドキ…

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